『おおきな木』シェル・シルヴァスタイン

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シェル・シルヴァスタイン ・作/村上春樹 ・訳

あらすじ

あるところに大きな木が一本ありました。

その木はいつも遊びに来る少年のことが大好きでした。

少年もその木のことが大好きでした。

 

でも時間が流れ・・・

少年はだんだん大きくなっていき、木はひとりぼっちでいることが多くなっていきます。

 

 

そしてある日少年が木の下にやってきました。

「お金がほしい」とお願いする少年に、木はりんごを与えてお金に換えるように言いました。

そしてまた何年かぶりにやってきた少年は木に「家が欲しい」とお願いし、木は枝を切って家を作るように言いました。

それで木は幸せになりました。

 

 

さらに何年か経ち、再びやってきた少年は「船がほしい」と木にお願いしました。

木の幹を切って船を作るように言うと、少年は幹を切り倒して船を作り遠くに旅立ってしまいました。

それで木は幸せに・・・なれませんよね

 

 

それからずいぶん長い時間がながれ、少年がまた戻ってきました。

切り株になってしまった木にはもう少年にあげるものが何もありません。

「もう僕には何も必要ない。ただゆっくり休める場所があればいいんだ」という少年に、木は「私の切り株にゆっくり腰を下ろしてお休みなさい」と言いました。

少年はそこに腰を下ろしました。

 

それで木は幸せでした。

『おおきな木』について

5/16に「世界一受けたい授業」で紹介されていた絵本です。

 

 

この『大きな木』の原題は「The Giving Tree」といいずばり「与える木」という意味です。

この木はタイトル通り最初から最後まで何かを少年に与え続けます。

そして、原文ではこの木は"she"と書かれていて、村上春樹も女性らしい言葉つかいで木の言葉を訳しています。

 

ということはこの木は我が子に「無償の愛」を与え続ける母の象徴ということでしょうか。

成長しても何年会わなくても、子どものために何かを与え続けるのはまさに母の愛そのものでしょう。

 

しかし、与えられる少年(=子ども)はその愛に気がつきません。

そして子離れをする母親の本当の気持ちも・・・

それは少年が船を作って遠くに行ってしまう場面で分かります。

“And the tree was happy…but not really.
(木は幸せでした・・・しかしそれは本当ではありませんでした)

切ない場面ですね。

そして母親の気持ちが分かる年齢になる頃には、もう年を取りすぎてお互いボロボロで何ももっていないということになってしまいます。

 

この絵本はそんな切ないことを教えてくれるだけでしょうか。

あくまでこれは一つの解釈であり、村上春樹は、訳者あとがきでこう述べています。

あなたはこの木に似ているかもしれません。あなたはこの少年に似ているかもしれません。それともひょっとして、両方に似ているかもしれません。あなたたは木であり、また少年であるかもしれません。あなたがこの物語の中に何を感じるかは、もちろんあなたの自由です。

 

もしかしたら、木は最後に少年が戻ってきてくれて心から嬉しかったのかもしれません。

子どもが帰ってきて嬉しくない親はいないでしょうからね。

こんな風に色んな人が読み解いてきたから、世界中で半世紀以上も読み継がれてきたんでしょうね。

とにかく、何回も読み返してもらいたい絵本です。